愛子様と悠仁親王が結婚?愛子様が天皇に? ハトシェプスト葬祭殿
愛子様と悠仁親王が結婚?
愛子様が天皇に? ハトシェプスト葬祭殿
いよいよルクソール観光の目玉、ハトシェプスト葬祭殿にやってきました。
チケットを購入した後、電動カートに乗って葬祭殿の近くまで移動できます。写真のようにこの祭殿は広大な敷地に立っているので、すごく助かります。このカートは入場料に含まれているようで往復無料です。
この葬祭殿とは何でしょう?葬祭殿とは葬儀や各種の儀礼を執り行うために建造されたもので、王の墓に隣接して建てられていました。
皆さんもご存じかもしれませんが、ナイル川の東岸と西岸に古代エジプトの遺跡は分かれています。その違いがわかりますか?
東岸は生きているものの世界、西岸は死者の世界と呼ばれています。
東岸にはカルナック神殿、ルクソール神殿などがありこれらはエジプトの神々を祭ったものです。
一方西岸にある王家の墓やこの葬祭殿などは死後と関係しています。ですからあの有名なピラミッドもすべてナイル川の東岸ではなくて西岸にあるんですね。
ハトシェプストとはいったい何者?
古代エジプト王朝、唯一の女性ファラオです。このハトシェプストという名前、日本人にとってはちょっと発音しにくいですね。地元の人の発音は「ハトシェプスト」ではなくて、ホット・チキン・スープといった方が通じるようです。その際、ホ・チ・スを強調して言うとエジプト人には「ハトシェプスト」と聞こえるらしいです。現地へ行かれる方ぜひ試してみてください。
長いスロープを使って3階まで上がることができます。この葬祭殿は三階建てで各階に広いテラスがあります。
さてどうしてこの女性がファラオになったのでしょうか?
この女性の父親は有名なトトメス1世で、母親はイワフメスという女王です。当時のエジプトでは女性は王にはなれないものの、嫡出(ちゃくしゅつ)の長女に王位継承権があったという説があります。それで彼女と結婚したトトメス2世が王になりました。しかしこの王は短命であったといわれています。夫が亡くなった後この女性は自ら権力を握り、王として支配しました。
・トトメス二世が早死にした後、トトメス三世が幼くして王に
・通常なら母親のイシスが実権を握るが、彼女は低い身分の出であったため不可
・ハトシェプストが実権を握りファラオに
・トトメス三世はその間、軍隊で過ごす
・ハトシェプスト死後、トトメス三世はハトシェプストの像を破壊、偉大な王となり、「エジプトのナポレオン」とも呼ばれる
エジプトの歴史ではたくさんの王の名前が出てきて覚えきれないという方が多いと思います。きっとツタンカーメンは分かると思います。後はラムセス二世とこのトトメス三世を覚えておくとよいでしょう。これがよく出てくる有名三大ファラオです。
このエジプトの歴史、日本の天皇家でいえば愛子様が皇族の一人と結婚し、夫が天皇になったものの、早死にしたため愛子様が天皇になったようなものでしょか?
このハトシェプストの夫、トトメス2世とは誰でしょう?何とこの二人、異母兄弟でした。つまりこの二人の父親はトトメス1世で母親が違うということです。古代エジプトでは権力を固めるために王位継承者の長女と結婚するということがあったようです。
日本の天皇家が当時のエジプトであれば、秋篠宮家の悠仁(ひさひと)親王が愛子様と結婚して天皇としての権威を強めるという感じでしょうか?現にこの仰天ウルトラCを提案する皇室担当記者もいるそうです。(このブログに政治的意味はありませんのであしからず)
三階の正面にハトシェプスト女王の顔をしたオシリス神の立像があります。この像、ちょっと変わっています。ハトシェプストは女性なのにひげが付いています。男装して王であることを正当化しようとしたといわれています。ある人の感想ではこの像、ほほがふっくらしていて女性のように見えるそうです。皆さんはいかがですか?彼女の立像この三階にかなりたくさんあります。今では壊れているものも多いですが、もともと柱に一体ずつあったとしたら左右それぞれに13体、合計で26体あったことになります。ちなみにオシリスとは死後の再生と生命を象徴する神だそうです。確かによく見てみるとこの像、女性に見えてきました。
この奥は女王の墓に続くといわれる至聖所の入り口となっています。
ハトシェプストの歴史の続きですが、夫が亡くなった後トトメス三世が後継者になりました。しかし彼はまだわずか6歳。幼少のファラオを支えるという形で権力を握り、結局22年間その座に収まったといわれています。
根拠は薄いそうですが、旧約聖書の出エジプト記でモーセをナイル川で拾って育てたのはこの女王だと言う人もいるそうです。
トトメス三世は義母のせいで単独の王となれず、長く不遇の時を過ごしたようです。その間に軍の総司令官となったことが、その後の彼の活躍につながるのかもしれません。ハトシェプストが亡くなった後、彼は単独の王となり、古代エジプト史上最大の領土を築いたとされています。
彼の有名な遠征の中にメギドの戦いというものがあり、このメギドはアルマゲドンという言葉の由来となっています。メギドと交通の要衝でここを制したものがその地方一帯を治めることができました。それで多くの決戦がここで生じました。
至聖所の入り口の右側に顔がずり取られているレリーフが見えますか?トトメス三世が恨みのためかハトシェプストの多くのレリーフや壁画をこのように削り取ったようです。
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この奥の至聖所、今でも色鮮やかな壁画が残っています。3メートルの長い自撮り棒と360度カメラを使って、他の人は見ることができないところまで見ることができます。ビデオを止めてから映像を回してご覧になってください。
三階の右側にあるが太陽神殿です。右側に小さな部屋があります。ロープが張ってあり普通は入れないようですが、そこはエジプト、外国人を見るとすぐ手招きして中に入れてくれます。目的はいつもチップですが。さて何があるのでしょうか?
とてもきれいな壁画を見ることができます。天井には、青い空に金色の星がたくさん描かれています。天井の星は冥界を表すそうです。
2階のテラスは1997年、ルクソール事件が起きた場所です。テロリストによって60人以上の方が亡くなった場所です。その中に10人の日本人観光客、新婚旅行の方が含まれていました。二度とこうしたことが起こらないことを願います。
ここでは女王生誕のレリーフを見ることができます。
そこからさらに進むとヌビアス神の礼拝堂近にとてもカラフルな壁画を見ることができます。ここでも天井には、青い空に金色の星がたくさん描かれています。
ここの壁にヌビアス神が描かれています。ヌビアス神は犬の頭をしていて、墓の守り神で、ミイラを作る神様でもあるそうです。
他にもたくさん見どころがあります。是非ご自分の目でご覧になってください。
皆さんの旅行がより意義深いものとなりますように。